反動不況は、日本の住居形態を公団のDKプランが登場したときとは別の意味で大きく変えた時期に当たる。それまでのマンションは会社役員や芸能人など特殊な階層を対象とし、供給立地も大都市のごく一部のエリアに限られていた。これに対して六四年からマンション事業をはじめた長谷部建設は、東京・杉並区の西荻北に「西荻フラワーマンション」を分譲する。六階建て・二四戸で分譲価格は三五五万〜三七五万円。間取りは2DKで、専有面積は四四・五〜四六・二平方メートル。六五年に完成している。販売後たちまち売り切れ、条件が揃えば一般サラリーマンもマンションの需要者になり得ることを証明したのである。その後、同社は上馬、大久保で建設したがいずれも好調で、六六年(昭41)にマンションを専門に販売する長谷部産業を設立。本格的に取り組んでいくことになる。