手っ取り早い結果を求めるのは、何もファッション業界だけではない。他の業界にもライセンスビジネスは蔓延している。外食産業がいい例だ。一〇〇年以上の歴史を持つフランスの高級ベーカリー、ポールは日本でも店を開いているが、運営しているのは敷島製パソのグループ会社であるレアールパスコペーカリーズだ。パスコブランドの食パソ、菓子パソでお馴染みのあのパソメーカーである。レアールパスコベーカリーズは、ポールと契約を結び、日本全域でポールを展開する権利を得ている。契約料はいくらなのか、公開はされていないが、数千万円におよぶと思われる。高い契約金を払って、なぜポールと手を結んだのか。それは、敷島製パソの名前、あるいは子会社の名前で店を開いても、高級なベーカリーショップを軌道に乗せるのは難しいと判断したためだ。ポールのパソはパスコのパソよりずっと高い。二〇〇円以上のパソはざらだ。これだけの値段のパソを売るには、パスコブランドでは客に受け入れられない、「美味しいパソ」「高級なパソ」という評価を確立しているブランド、しかもフランスのブランドが必要だと敷島製パソは考えたのだろう。レアールパスてヘーカリーズは、パソのレシピはもちろん、店で使う食器やランチEソマット、従業員のユニフォームなどもすべてフランスから取り寄せ、忠実にフランスのポールを再現している。したがって、店はまるでフランスのお店そのまま。味も非常に美味しいと私は思う。少々高いが、その価値は十分あると思う。フランスでポールのパソを食べた人に聞くと、本国に比べても味はまったく遜色ないそうだ。これだけの味を作り出せるなら、ライセンスを買ったりせず、自らの手で店を開いても十分に通用するのではないか。パスコブランドが無理なら、新しく別ブランドを立ち上げればいい。パソ業界やケーキ業界の関係者に聞くと、誰もが「日本の職人のレベルは非常に高い」「世界的にも高水準にある」と話す。実際、海外でパソやケーキを食べると、日本のレベルの高さを思い知る。ポールのパソは、本国のレシピを使ったものだが、それを忠実に再現できるのも日本の職人の技術の高さあってのことだろう。だったら、なぜ他者の力を借りずに、自分たちの手ではじめようとしないのか。この疑問をレアールパスコペーカリーズの担当者にぶつけると次のような答えが返ってきた。「ブランドとは、歴史や文化といった。バックボーンやそこから生まれる物語性が必要なのです。ポールの出店時には日本から技術者をパリに研修に送っているが、それは技術というより、パソ文化が根づいた現地の空気を体験させるためです」本当にそうだろうか。私の意見は「NO」だ。パソが日本の食卓に定着して間もない頃であればいざ知らず、今、高いライセンス料を払ってまでフランスのブランドに固執する必要はない。フランスの高級ブランドに匹敵するほどの実力がすでにあるのだ。職人がパリの空気の中で、パソがどんな風に食卓に浸透しているのか、愛されているのかを体験することには意味があると思うが、それなら職人をフランスに派遣し、帰国後、その体験を新規ブランドで生かせばいい。それにお客である消費者の舌も肥え、ブランドだからといって皆が高いお金を払って買うものではないはずだ。安くておいしいものを選ぶ消費者も少なくないように思う。歴史を。パックにした物語性がブランドに必須だというなら、新しくブランドを立ち上げることはすべて不可能だ。現在評価の高いブランドにも必ずはじまりがある。最初から高い評価を得ていたわけではなく、一つひとつの積み重ねがブランド価値を創造した。自分たちの手で物語を作っていくプロセスが、ブランドビジネスの醍醐味であり、面白さなのではないだろうか。しかし、私のこうした思いをよそに、あちこちにポールのような店が出現している。同じパソ業界では、パリからメソンカイザーという高級ベーカリーが進出しているが、この店を運営しているのはあんパソの木村屋だ。ちなみに、ここのパソも味はいい。それだけに「自分たちではじめればいいのに」と思えてならない。ケーキ業界にも、フランスのブランドショップが多数出現している。しかし、バックで運営しているのはブランドとライセンス契約を結んだ日本企業だ。ジャソーミエ、ベルディー、ダロワイヨといったパリの人気ケーキ店は日本企業が運営し、日本人が手がけている。こうした例は、探せばいくらでもある。ファッション業界に話を戻せば、イギリスの百貨店であるハロッズの名前を借り、日本人がデザインした婦人服ブランドまで登場している。イギリス風のテイストを醸し出してはいるが、ハロッズとは百貨店の名前であって、婦人服ブランドではないのだ。どうして、百貨店の名前をつける必要があるのか疑問に思う。ハロッズと契約を結び、ハロッズの名を借りた婦人服を生み出した三菱商事は、パリ生まれのファッションブランド、オールドイングランドの婦人服を日本で展開しているが、これは向こうではメンスのブランドだ。もともとブランドにはない品目が、同じブランド名をつけられて日本に登場する。それで受けてしまうのが日本の現実だが、あまりにもお手軽過ぎるのではないか。海外のブランドなど不要だというつもりは毛頭ない。消費者にとっては選択肢が増えるという一面は否定できないし、国産ブランドだけでは味気ないと感じるだろう。街を歩けば、色々な国の色々なブランドを目にし、それぞれ個性的な商品を手にすることができるマーケットは、正直楽しい。選択肢が多いというのはある意味幸福だ。しかし、安易に海外のブランドにすがり過ぎていないだろうか。商社が海外のブランドを持ってきて、日本で展開するのはそれが仕事であり、事業を継続させていく上では当たり前だとは思うが、その逆がもっとあってもいい。日本のロイヤリティの受け払いは、一対九九の完全な入超だ。技術に自信のあるメー力Iは、「自分たちの手で物語性のあるブランド」を作ることに目を向けてもいい頃だ。ブランド価値を自分たちの手で創造し、海外にそのブランドを持っていくという逆のパターンがもっと増えてもいい。技術力、商品力を高めたい▽心から、海外ブランドとライセンス契約を結んだ頃の情熱を自社ブランドの創出と育成に注げば、きっと強いブランドが生まれるはずだ。ブランドブームがもたらした余波の一つが、中古品マーケットの賑わいだ。質屋やリサイクルショップは、ブランド品を買いたいが高い値段がネックになって二の足を踏んでいた消費者に門戸を開き、ブランド品ワールドヘと誘った。こうした中古のブランド品ワールドにはブランドが本来持つ権威やステイタスは驚くほど薄い。ブランドであればそれでいい、中古だろうと何だろうとブランドの印がついているモノならば何でも手を出す消費者が氾濫する世界、それが中古品マーケットだ。ここでは、ブランド天国ニッポンが生み出した世界でも希有な中古品マーケットの現状を紹介したい。